掌がうすらぐ白昼へ、ゆく。

身体が好きなのですが、生の人間と触れあうのは怖いインポ野郎なので、言葉でもって色んなものを撫でています。

娼婦の肌は冷たく 中編

白昼の靄


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 表現するとは、とりわけ写真という方法を用いて表現するとは結局いかなることなのだろうか。それはむろんのこと私の像(イメージ)の表出や、外化ではない。それこそ写真の最も不得手とするところのものだ。(…)写真を撮るということ、それは事物(もの)の思考、事物(もの)の視線を組織化することである。
           
中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』)

 写真は、散文的かつ豊かな描写力を持つというその性格によって、イメージを表現するには不自由であり、そしてかわりにカメラの前で実在した事物を生々しいリアリティでもって保存する。世界が、なんらかの象徴へと換言されることなく、そのもの自体として冷凍される、写真という営為。もちろん、写真に創作性が忍び込まないとは言わない。それが虚構を演じることは、例えばイデオロギーの道具としても機能しうることは、ありえる。
中平もその点を見落としてはいない。

 カメラとは何か? カメラの依って立つロジックとは何か? カメラはわれわれの見るという欲望の具現であり、その歴史的累積が生んだひとつの技術であり、それ自体ひとつの制度であると言えるだろう。(…)
(…)カメラというすぐれて近代の所産は、一点透視法にもとづいて世界を統御しようとする。カメラは見ることを一方的に私の眼に限局する。

 ここでの「見る」というのは、いわば近代的世界認識の様式のことを指している。つまるところカメラは、世界を縮小化して、私の所有物とする。イメージを投影する器として、写真は消費される。世界と私のイメージとが全く重なる。
 このことは、冒頭に引用した部分と矛盾しているように聞こえるだろうか。しかし、そうではないのだ。なぜなら、写真が、事物であることと、イメージの器であることは、併存しうるからだ。
 あるがままの事物、人間の眼差しを撥ね返すモノ……それは当然、人間の抱くイメージではない。しかし、事物は、完全にイメージから逃れることも、またできない。事物は、イメージを完全に受け容れるのではなく、染まるのだ。そこでは、世界は人間の思うように在るのではない、しかし人間がいかようにも想うことを赦されている。
事物としての輪郭をそのままに「イメージを帯びる」のである。娼婦は、客からの愛に応えない、しかし拒みもしない。虚空へ響くのみの、客の愛。そして彼がなにを味わうかといえば、その愛だけを、弄ぶのである。応えられることによる幸福なしに、愛の陶酔のみが永続する。客は安らいで、愛したいように愛するであろう。事物は、イメージの前で沈黙することによって、イメージを赦すのである。イメージに、あるがままのかたちを。
 このように言えないか……私は写真を目の前にして、それを好きなように見る、そこに思うがままのイメージを託す、それ自体の描写力を免罪符にして。あるがままの事物を、思うがままに見る。事物とイメージの密約。
 事物は沈黙する。ゆえに、どのようにも見ることが可能である、そして同時に、このようにしか存在していない、という性格を有している。沈黙は、その姿形を冷たく留まらせて、なおかつどのようなイメージにも染まるのである。恋人が、私の彼女への見方(愛のかたち)を時に拒むのに対して、娼婦は肉体しか与えないからどのような見方も赦すのである。だからこそ、応えられないことによってこそ、私は安らぐであろう。虚しさに悦びを見出すであろう。
 事物のごとき「このように在るモノ」は、どのようにも見ることができるのだ。例えば絵画のような、非実在という「そのように在らしめたもの」であれば、「そのように在らしめた」ところの意志なり理念が、私のイメージを束縛する。ところが写真は、その創作性によって私へイメージを誘惑しながら、事物として沈黙することによって私が投影するイメージを無限に赦す。写真は、イメージを促し、そして誘い出されたそのイメージを、無限に抱きとめるのである。写真は「見ること」を正当化する。

 たとえば、風景写真は肖像写真や報道写真などに区別されているが、私の考えでは、すべての写真は風景写真である。被写体がむごたらしい屍体であろうと、飢えた子供であろうと、それは風景である。
          
柄谷行人『鏡と写真装置』)

 柄谷が指摘するように、戦争さえ写真の手にかかれば風景になる。そして、付け加えておけば、例えば我が子の産まれたての無垢なすがたもまた、写真は風景にするのだ。写真とは世界を包む凝固剤である。私の掌は直の世界との接触から隔絶される。「見ること」は触れることが不可能なままに、モノに迫る営みではないか。


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 さて、私の手元にいま、一冊の写真集がある。熊谷聖司『BRIGHT MOMENTS』。表紙は、横たわる一つの女体である。日の明けかかる、あるいは暮れ終える、そんな瞬間のような蒼暗さを湛えた浅水に、ほっそりとしたほの白い女体が眠っている。ぼんやり白い肌と暗い水とはふっと溶け合うかのように曖昧である。
 曖昧さ――この写真集においてそれは、独特なかたちで存在している。そこでは、テーマなどといった、作品の深層部が曖昧なのではない。どういうことか。ほとんどの収録作品が、画面全体の印象として柔らかい。ほんの微かにピントが外されている。不鮮明さの程度には作品によって差があれど、対象や波などであることも認識はできるとはいえどれもぼんやりとしている。しかし、繰り返しになるがそれは一口に不鮮明と言うには、少し奇妙でもある。視覚的に、なにかがおかしい。ただ不鮮明なのではない。それだけではない。どこか、目に纏わりついてくるような印象なのである。
 柔らかい、と私はさきに形容した。この形容詞に、熊谷の写真が纏う曖昧さの特殊性がある。そもそも、不鮮明であることは、必ずしも柔らかいということを意味しない。その証拠の一例として、中平卓馬のある時期までの作品群を見てみれば良い。「アレ・ブレ・ボケ」と称されたそれらの写真は、「ボケ」という意味で熊谷の写真に重なる。そこではピントが外れ、画面に写る対象が判然としないこともしばしばだ。「ブレ」を含んでいる点においても、熊谷と共通している。この写真集にも、ブレを用いた作品かいくつかある。
 しかし、「アレ」という特徴が、熊谷のほうには皆無なのである。荒々しさはなく、柔らかいのだ。「ブレ・ボケ」という、不鮮明さを招く要素を含みながら、その一点においては二人の写真は正反対とすら言える。
 この柔らかさがどこから来るのか、とつくづく首を傾げて熊谷の写真に見入る。ぼんやりと、写真が眼に纏わりついてくる。この眼に纏わりついてくるものはなにか。色彩ではないか。この写真群は、沈んだ色彩を基調としている。この色調と「ブレ・ボケ」が溶け合う時、「アレ」の反対方向の柔らかさを画面が纏う。〈色の弱さ〉と、〈画面の揺らぎ〉が、まるで色の弱さゆえに画面が揺らいでいるようにも、画面の揺らぎゆえに色が弱まるようにも、この目に映る、それほどまでに二つの要素が同程度で溶け合う、いわば色と画面の〈浅さ〉が完全に一致するその瞬間、写真は目に纏わりつく。靄に包まれるような、柔らかな不鮮明が広がる。
 曖昧さが極まる。中平卓馬は、前章に引用した文章のなかで、「アレ・ブレ・ボケ」写真を、その特徴にそれらの多くが夜や薄暮・薄明に撮られていること、カラーではなくモノクロであることを挙げつつ、このように評価した。

(…)それは対象と私との間をあいまいにし、私のイメージに従って世界を型どろうとする、私による世界の所有を強引に敢行しようとしていた(…)

 不鮮明こそが、写真にイメージを呼び込む。しかし、私はここで問いたい。中平が有した「アレ」や、その作品がモノクロであったことは、果たして本当に不鮮明な画面を構成しただろうか。
 したかもしれない、しかし、細かい粒子とカラーによってこそ可能になる、〈浅い色と画面〉の溶け合いよりは、それは鮮明であった。モノクロと粗い粒子の結合による画面は、むしろその衝迫的印象によって、たとえ不鮮明ではあってもその画面をまざまざと突き付けてくる。「これを見ろ」と。では、柔らかな写真はどうか。それは、曖昧な画面を、ただ曖昧なままに広げている。漂いながら、目に纏わりつく、消え入りそうな薄明を湛えて。中平が、薄明をしかし鋭く切り取るのに対して、熊谷は薄明を薄明のまま捉える。中平において陰陽のコントラストは過度なまでに激しいのに対し、熊谷は陰陽を境目なく溶解する。
すなわち、このように言うことができるだろう。熊谷の写真は、「アレ・ブレ・ボケ」の徹底としてあるのだ、と。


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 薄明のなかで、女体が稀有な容貌を示してくる。
〈弱い色と画面〉に写る、白い肌。靄に溶けゆく痩せた身体。つまり、そこでは身体の輪郭が揺らぐ。水と光と肌とが曖昧になる……。
 曖昧さ――ところで私は、この写真集について、『匂う娘』からの連想において語り始めたのだった。もっと正確に言えば、人間が肉体的でしかあれぬような事態の一つとして、熊谷の写真集へと眼を向けた。中平卓馬の言説や写真を手掛かりとして。
 しかし実のところ中平は、熊谷的な写真をこそ攻撃したのだった。私が数度にわたってここまで引用してきた『なぜ、植物図鑑か?』は、私の引き方に反して、「アレ・ブレ・ボケ」を自己批判し、その先の写真を志向するものである。彼は「事物」としての写真を望み、「あいまいさ」を一切許さない「図鑑」こそが写真の最良の形式であるとした。そうだ、「あいまいさ」をこそ彼は否定したのである

(…)われわれはそれに名辞を与え、そのことによってそれを私有しようと願う。だが事物はそれを斥け、斥けることによって事物である(…)形容詞(それは要するに意味だ)のない事物の存在を、ただ未来永劫、事物は事物のロジックによってのみ在ることを認めること。事物はあのようにではなく、このようにして在ること。

 彼の思い描く写真は、ただ在るモノ=肉体である『匂う娘』に、とても近いように見える。しかし私は、「図鑑」ではなく「アレ・ブレ・ボケ」が、またその徹底である熊谷の写真が、『匂う娘』に重なってみえるのである。靄のかかったような画面、仄めく肌。
 輪郭の溶解が、事物を打ち立てるとすれば、なぜか。
 私は熊谷の写真を前にすると、その眩いばかりの表層性に、まず呑まれる。そこには、写っているモノ以上のなにかが存在しない。私の視線はその奥へ進むことができない。象徴や寓意(意味や世界認識と言っても良い)はない。深層を孕まないのだ、娼婦が子を孕まぬように。ただ皮膚が広がっている。私はそれを撫でる。手触りだけが感受される。
 中平が言ったように、画面の不鮮明が写る世界と私との間の壁をぼかし、私が見るように世界がある、という認識を可能にするのだとすれば、熊谷の写真(あるいは「アレ・ブレ・ボケ」)には、むしろ深層しかないはずではないか。
 しかし、中平のこの前提に、誤謬がありはしないだろうか。画面の不鮮明は、本当に壁をぼかし、私に世界を所有させてくれるだろうか。私はこの辺りに、なにか、中平の写真論に肯いてしまいながら熊谷の写真にこそ事物を見る矛盾の原因を、感知するのである。
 写真はその描写力によって、世界そのものを写すかのように信じ込ませる。とすれば、画面を不鮮明にしたとしても、ぼかされるのは世界でしかないのではなかったか。眼にとっては、写真においていかように対象がぼやかされても、それが事物であることに変わりはないのではなかったか。確かにそれは「あいまいさ」を誘発する、しかしそれは世界と私との間の壁ではなくて、世界そのものの姿形を「あいまい」にするのではなかったか。そして、カメラによって私は依然として世界から隔てられたまま、世界を「あいまい」な事物として見るのではなかったか。世界と私との間の壁なるものは、画面の不鮮明なぞで崩れはしない。なぜなら、それは眼に拠っているのではなく、レンズで構築されているからだ。
 中平は、それはイメージであって事物ではない、と言うだろうか。しかし、これこそが事物なのだ。「このようにしかない」と、イメージ=「あのようにある」を拒みながら、しかしその沈黙(事物は「このようにしかない」としか言わないのであって「こうである」とは主張しない)によって、イメージに無尽蔵に染まる、事物とはそのようなものなのだ。
 そしてまた、イメージに染まりえないものは、事物ではない。例えば「図鑑」は、確かに中平の言うようにイメージ的ではないが、純粋に「事物」でもない。それは「情報」であり、「観念」である。イメージへ歪められはしないかわりに、抽象へ歪められている(そして、一応言っておけば写真がイメージによって歪むことはないのである)。無論、写真であるからして、それは事物として存在してはいる。とはいえ不純であることには違いない。写真でありながら、写真ではない方向へ無惨にもがいている。
 写真は、写真であることによって既に、事物である。この生理を、中平は信じず、熊谷は信じた。そして熊谷の信仰は正しい。中平の向かおうとした事物は、彼が背を向けた方角の、その果てにあったのである、彼の許容できないかたちで。熊谷の作品は、イメージに塗りたくられている。しかしそれでいて、そこに写る対象は私から隔てられて事物として在る、と感じさせる。
『BRIGHT MOMENTS』における女体。それは肌である、というよりも、肌でしかない。静けさの深まる海に弛緩した痩身が浮かび、沈み、揺らぐ。暗い岩々と混じりあうその海は、果てしないというよりも底しれない。女体は膨らんでは崩れる波のように朧げに、仄かな白に肉体らしい物質の強張りがなく気体と液体のあわいの手触りだ、細かな雪のようである、風に漂い天へ昇りかかるところで消える雪のようである。その白は空の色にやわらかく染まる。時に明るみつつ、時に静まる。衰微の色を常に帯びながら、それなのにと言うべきかそれゆえにと言うべきか危ういけがれも香らないではない。あやしさも底しれず柔らかい、これも母の腕の柔らかさではない、身を投げる虚しい穴の柔らかさというものかもしれない。これこそが、娼婦の肌というものか。


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 白昼、事物(もの)はあるがままの事物として存在する。赤裸々に、その線、形、質量、だがわれわれの視線はその外辺をなぞることしかできはしない。
(…)
 けんらんたる白日の下の事物の存在。事物からあらゆる陰影を拭い去ること。光あれ! この陰影こそ〈人間〉の逃れ去る最後の堡塁である。
                
(中平卓馬『なぜ、植物図鑑か?』)

 中平が求めた「光」、熊谷が捉えた「BRIGHT(=明るい)」。それは中平の言う通り、事物の氾濫の場である。しかし同時に、イメージの氾濫をも誘惑する。事物としての沈黙において、イメージは氾濫するのである、幸福な受肉へ至らぬ不能のまま、しかし果てしなく。
「白昼」こそが曖昧なのだ。そこには闇のかわりに蜃気楼がのぼっている。白々と明るい靄が。


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 川端康成の『匂う娘』における連想の生理にも、「明るい靄」が宿っている。
 それは深層を孕まない。曖昧さによって、その小説は「ただ在るモノ」として存在する。事物であるだけの言葉から、私は肌の手触りを、イメージばかりを味わう。熊谷聖司において、モノがモノでなくなるのに等しく、川端において言葉は言葉でしかない。何も孕みえない。
 中平卓馬が夢見ながら逃し、熊谷が捉えた、事物。川端の紡いだ、言葉。表層だけのモノ、娼婦。
 私が『匂う娘』に感じた「冷たいやさしさ」とは、作品においてこのような事態が起こっているゆえであった。すべてがモノとなる、人間さえ。
 しかしこれではまだ、すべてを掴んだとは言えないのではないか。
「娼婦」についての探究は、「冷たさ」の原理の一端を把持するに過ぎない。私は「冷たさ」についてばかり語ってきた。では「やさしさ」については? つまり、私はなぜ娼婦を「やさしい」と感じなければいけないか。何に慰められ、何に赦されているか、それはひとまずわかったとしよう。そして更に問おう。私はなぜ慰められ、赦されるのか。
 この問いの果ては、斯様にも言い換えることができるだろう。
 私のうちの何が赦しを乞うているのか?
 もはや「冷たいやさしさ」と素直には書けない。「冷たさ」の「やさしさ」、それが私の問題なのである。
「冷たさ」の「やさしさ」。娼婦によって私が赦される理由。
 このことを考えようとするにあたって、私はまた、一冊の書物を俎上にあげてみようと思う。他でもなく娼婦じみた「やさしさ」によって、私を惹きつけて止まぬ言葉を。